こんにちは。
好奇心からの便りです。

人間は「自分の言動は正しい」と、自分でも気付かない所で思い込んでいる生き物かもしれない……そんなことを感じる出来事がありました。
知人(A氏)がさり気なく気を遣いながら私の耳に入れたのは、A氏がB氏から聞いた私の行動に関しての指摘でした。
確かにそれは自分でも薄々気付いていたことでした。
それは外から見ると、私に非があるという見方をされかねないものだったのでしょう。
しかし私はいつも自分自身に言い訳をして、自分は間違っていない、自分の取った行いは正しい、そんな風に思い込んでいました。
というか、思い込もうとしていたのかもしれません。
そこにNOを突き付けられると人格否定をされたような気になって、心の中で反発してしまっていたのです。
けれどもその反発を口に出そうとすると言い訳にしかなりません。
大人気ないと思われたくもないし、そうありたくもない。
とりあえずは黙って聞くのだけれど、私自身はまだ納得できていませんでした。
しかし、後になってひとりじっくり思い返したとき、私はハタと気付きました。
『Bさんが私に対して感じていたことは確かに当てはまる。逆の立場だったら私もBさんと同じように思うはずだ』と。
Bさんは何も間違ってはいないし、何をしたわけでもない。
間違っていたのは自分なのだとようやく気付きました。
私は自分に対し、自分が正しかったのだということを証明するための言い訳ばかりを探していました。
「だって、あの時は私が先に……」とか
「でも、あの状況では……」など。
だってとか、でも、とか。
ですがその直後思い返したのです。
『そうだ、それはみんな言い訳でしかない、Bさんには関係ないことだ』と。
私はやっとBさんの真意を悟ることができた、自分の非も認めることができた。
できたけれど、やっぱり心の奥の奥の方で微かに悔しさのようなものが残っているのも確かでした。
それでも目が覚めたというのか、分かったことがあります。
それは、『人は、自分が正しい、と真っ先に思っている』ということ。
そのため自分の意見と異なる他者の意見や行動に反感を覚える。
もしかしたら自分の方が間違っているかもしれない、それなのに自分が正しくて当たり前、そんな風に本能的に思っているのかもしれないと。
そしてそれを否定されたら怯んだり憤慨したり。
もしくは言い訳をして自分を庇おうとする。
冷静になってつくづく考えました。
Bさんは何も間違ったことは言っていなかった。
うん、確かにそうだ。

そこに行きつくと、これから先、私は自分の言動は果たしてこれで良いのか、自分の行為や発言は間違ってはいないだろうか、そんな風に一呼吸入れて考える時間が自分には必要だということを痛感しました。
人は自分の価値観や思考が正しいと思い込んでいるから対立が起きます。
腹も立ち、悔しい思いもします。
たとえば政治の世界などもそうです。
自分が正しいと思うがゆえに対立が生まれ、派閥が生まれるのです。
世界的に見ても、中東情勢など、それぞれの国が自国の主張が正しいと思い込んでいるから争いは一向に終結しません。
自分の非を認めたくないのは誰の心にも潜んでいるものなのかもしれません。
ですが、では果たして相手に非があった? と問うた時、果たして全てが全てそうとは限りません。
反感を抱く前に、対立を招く前に、いちど冷静になる時間はとても必要です。
その時気付いたりします、
『あ、相手は何も悪くなかったんだ……』と。
Bさんの思いを、立場上、私に伝えなければならなかったA氏の気遣いと忠告に心から感謝しました。
以上
好奇心からの便りでした。
お立ち寄りありがとうございました。
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