こんにちは。
好奇心からの便りです。

私たちは、自分と自分以外の人間とでは物事に対する視点が違うと感じることは当然ながらあります。
何かの投稿欄に小さなお子さんを持つお母さん(Aさん)の記事がありました。
内容は家族内の考え方の違いというものでした。
Aさんには当時2歳に満たない元気な男のお子さん(Bくん)がいました。
普段Aさん夫婦は共働きなので、Bくんは昼間は同居しているお舅夫婦に預けて見てもらっていたそうです。
夕飯の時よく話題に上るのがBくんの日中の様子なのですが、お舅さん夫婦からすれば孫の言動は可愛くて仕方ありません。
買い物などに連れて行くと、Bくんはいつもお店の中を駆けずり廻ったり大きな声をあげたりするそうですが
「『可愛いねぇ』って店員さんやお客さんたちに声を掛けられるよ」
と、お舅さんはその出来事を嬉しそうに話されるのです。
しかし、Aさん自身が休みの日にBくんを買い物に連れて行くと、とても神経を使うというのです。
それは息子さんが走り回ったり大声を出したりするため、周囲に迷惑をかけているということがストレスになっているようです。
ある時Aさんがお舅さん夫婦に
「お店の人や周りの人に迷惑がられていると思う」
と言うと、お舅さんは
「迷惑なんかだと思われているわけないじゃないか。まだあんな小さくて、やって良いことと悪いことの区別がつかない子どもに、迷惑だなんて思う方がおかしい」
と言われたそうです。
Aさんはそれを聞いて唖然としました。
そして思ったそうです。
もし子どもがお店の中で走り回って誰かにぶつかったり、商品を落としたり壊したりしたら謝罪はもちろん、弁償しなければならない場合だってある。
こんな落ち着きのない子どもを店に連れてくるなとか、親の躾がなっていない、そんな風に咎められてしまう……そんな妄想が浮かんだというのです。
物事の良し悪しの分別も分からない子どもを迷惑がるわけはないというお舅さん。
そう言いたい気持ちは、分からなくもない気もします。
お舅さんは孫が可愛いから孫のBくんのことを人さまから褒めてもらって素直に喜ばれているのでしょう。
一方でAさんはというと、周囲の人に迷惑をかけたくない、そういう他者の立場に立っての思いなのでしょう。
ですが、もしかしてその先に、その迷惑が自分に還ってくることを恐れている、そんな風にも取れます。
それはつまり、息子が他人に迷惑をかければ親である自分が責められる。
自分が尻ぬぐいをしなければならない。
自分の人格(自分自身がどんな育てられ方をしてきたんだとか、子どもにどんな躾をしているんだとか)まで非難されるような気がする。
こういった思いが深いところにあるような気がします。
それによって自分の立場や自分に注がれるであろう周囲からの視線だったり批判だったり、そういったものを恐れてのこととも取れます。
誰だって自分をよく見せたいと思うのは自然なことです。
だから他人からの非難の目や声は傷つきます。
突き詰めてみると、Aさんの思いは子どものためというより、また、周囲の人へのためでもなく、もちろんそれらも前提にはあるけれど、けれども一番は自分自身が悪く見られたくない、根底にそんなものがある気もしました。
本人は気付いていなくても。

ただ私たちは他者を大切にする前に、自分という存在を認めたい生き物だと思います。
だからAさんが感じていることも否定はできないし、当然の思考だとも思います。
なのでAさんの思考を否定するわけではありません。
幼子の家族目線のお舅さん、お店の人の立場に立ってのAさん。
結局は人それぞれの視点の違いというほかないですね。
こういう視点の違い、思考の違い、でお互いの歯車が合わなくなることはとても多いのだろうと思います。
自分の思考だけに縛られず、相手の視点にも注視してみることも人間関係をスムーズにしていくうえで必要なのかもしれませんね。
以上
好奇心からの便りでした。
お立ち寄りありがとうございました。
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