お早うございます。
ご訪問いただきありがとうございます。
人にはそれぞれいろいろな願望や欲望があります。
仕事運や経済的なもの、愛情、家庭環境、人間関係などなど多岐に渡ります。
けれどもそれらを突き詰めていくとどうでしょう?
もしかしたら「安心」の感情でいられることが最終的な目的ではありませんか?
今朝の言葉
『結局つまるところ、安心を得たいんだ』
願望が叶ったら、受け取りたい状況を手にしたら、仕事が上手くいったら、この人と一緒に居られたら、子どもが幸せになってくれたら……。
それらが満たされた時、人はその時点で安心を得るのだと思います。
例えば、借金がある人はそれを無くしたいと思うでしょう。
借りていたお金をすべて返すことができたら……その先にあるのは何でしょう?
子どもが志望の学校や仕事に就くことができたら、まずは喜びの感情が湧きます。
好きな人と一緒になれたら、それも同じです。
ずっと欲しかったものが手に入ったら。
嫌な状況から解放されたら、それも有り難いですよね。
しかし喜びの感情そのものは一過性のものであったりします。
仮に今すぐ手元に百万円が欲しい。
それが手に入った。
借りたお金を返すことができた。
欲しかったものを買うことができた。
プレゼントを贈ることができた。
で?
願望は百万円ではなく、その先の使い道を望むとおりに実現できること?
それらが叶ったら?
やはりそこにあるのは「安心」なんじゃないかと思うのです。
それに依ってその先自分が穏やかでいられたら。
すべては最終的に突き詰めれば「安心」にたどり着く気がします。
結局私たち命あるもの、感情のあるものはみな、安心を得たいのではないかと思います。
人生百年時代と言われるようになりました。
それまであと何十年もあるという人、あと数十年、或いは数年はあるかもしれないという人、あとどのくらい生きられるだろうかという人、みな、この先の見えない未来、残されている時間、それらを安心して過ごしていけることが究極の願いのような気がします。
戦争で不安に襲われることの無い安心な世の中、経済的に困窮しない安心な暮らし、子どもの将来に不安を必要としない安心な気構え。
いちばん望むもの……皆さんはどうでしょう。
ではまた。
好奇心からの朝の便りでした。
みなさま、どうぞ良い一日を。
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