こんにちは。
好奇心からの便りです。

今日は『こども食堂』から感じたことについて少しお話ししようと思います。
『こども食堂』は今や、多くの国民に知られ、また全国に存在するようになりました。
ひとり親家族などの増加により、その需要は年々拡大しています。

様々な事情で日々の食事が思うように摂れない子どもたちの食の偏りを改善すべく、栄養バランスの取れた食事を提供することが当初の目的のようでした。
その活動が全国に広がり、今では地域交流の場としての役割も高まっているようです。
『こども食堂』は、東京大田区にある『きまぐれ八百屋だんだん』という八百屋さんの店主、近藤博子さんの試みで始まったそうです。
この近藤博子さんと言う方、ついこの間分かったのですが、偶然にも私の地元のご出身でしかもご近所の1年先輩のよく知っている方でした‼ 驚きです。
さて、先日職場の同僚がふと呟いた言葉が頭に残りました。
それは
「こども食堂を増やすより、国はそういうものが無くてもよい社会を作らないといけないと思う」というものでした。
よくよく考えれば確かにその通りです。
即時に相手にとって助かるもの、安心できるもの、相手が必要としているもの、そういった形あるものを差し出すのも大切です。

しかし長い目で見たとき、とりあえずの支援では先行きどうなるのか分かりません。
親が、子どもたちに日々、家庭でバランスの取れた食事をきちんと与えられる環境が作られることが望ましいのです。
それには我が国の社会環境がカギとなります。
この『こども食堂』の取り組みを否定するわけでは決してありません。
誰かが手を差しのべなければ今目前の現状は何も改善されないのですから。
ただ、国としてもっと根本的に土壌をしっかり固めて、ゆるぎない、誰もが安心して暮らせる社会を作っていくことが非常に重要です。
海外で貧困や飢餓に苦しんでいる人々を助けるために、食料や薬など、支援物資を送るということがありますが、その支援を受けている国自体が今後栄えていける方法や技術を教え導き、協力していくことの方が後々のその国の豊かさに大いに繋がります。
その場凌ぎだけでの支援でとりあえず生き延びたとして、貧困のままの国で、その先子どもたちはどうやって生きていけるのか、どうやって生きていけばよいのか、そのことを案じます。
きれいな水を差し出すだけではなく、井戸を掘る技術を教える、そこで身に付けた技術が仕事となり雇用が生まれ地域が潤っていく。
それが意義のある支援になるのではないでしょうか。

有名なことわざにありますね。
「釣った魚を与えるより、魚の釣り方を教える」
まさにこれです。
『こども食堂』が不要だとか無意味だとか言うのではありません。
今、目の前の不便を感じている子どもたちに温かな手を差しのべることは必要です。
ですが、それと並行してそういった善行も必要が無いようになるくらいの国の社会という土俵を整えていって欲しいものと思います。
賛否両論あろうかとは思いますが、ひとつの考え方だと受け止めていただければ幸いです。
以上
好奇心からの便りでした。
お立ち寄りありがとうございました。
こちら↓いずれかもしくはいくらでもクリックしていただけると嬉しいです