好奇心からの便り

好奇心旺盛に神々の出雲の国周辺や、日常の気になる情報をお届けします。

他者の命のための過酷な選択

こんにちは。

好奇心からの便りです。

 

人の命の選択というものがどれほど重く残酷で過酷なものだということ、この度つくづく感じました。

 

先般、働き盛りの甥が体調を崩し救急搬送されました。

 

集中治療室で心肺停止も2度ほどあり、危険な状態がしばらく続き、心臓の作動も呼吸も自力ではできないため、いくつかの大掛かりな医療機械に頼っていました。

 

3~4日して、まだ意識は回復しないものの少し安定し、医師から、このまま機械を繋げ続けることには逆に患者に負担が掛かり限度があるということで、機械を外すことを提案されました。

 

ただ、それにはリスクが伴います。

心臓の方の機械を止めると血圧が下降するかもしれないこと、命の危険も考えられるし、仮に命は助かっても意識が戻らないことも考えられる。

あるいはマヒが残るかもしれないと。

 

また、喉を切開してそこに呼吸用の器具を付けることになれば、回復の限度によってはそれを一生取り外せない可能性も視野に入れておかねばならないし、もしかしたら寝たきりになる可能性もなくはないというのです。

しかしこのままでは最悪の事態も覚悟しなければならないと。

 

脳死とはちがい、脳の一部は生きているけれど心臓や呼吸機能が停止している。

 

機械を外したり別のものに交換すことを受け入れるのか、それともこのまま……。

 

本人に意識がない限り、最終的な決断は身内の人間にゆだねられます。

 

医師からの言葉に家族や我々親族はとても厳しい選択を迫られ、各々があれこれと頭の中でその選択について葛藤している状況でした。

 

彼はまだ若い。

もっともっと生きていてくれることが望ましい。

でも、もしこの状態で、このまま何年も……それを思うと……。

 

 

たとえ本人に意識があったとしても、本人でさえ答に窮する選択です。

ましてや本人ではない我々が、果たして迂闊にその選択が許されるものかどうか。

 

本人の意思はどうなのだろう?

もっと生きたいと思っているんじゃないだろうか?

 

倒れて病院へ搬送された直後はまだ意識がかろうじてあったようで、家族に心配をかけたくなかったのか、医療スタッフの方に「知らせたい人はいません」と伝えたそうです。

そんな彼だから、ひょっとしたらこれ以上家族に心配や迷惑をかけたくない、そんな風に思っているかもしれない、など、私たちは意思表示できない彼の姿を見守りながら彼の胸の内を思い巡らせ悶々としました。

 

それでも日数が経つにつれ徐々に容体は危険状態を脱していきました。

外すことに懸念を抱いていた大掛かりな機械も簡易的な器具に交換でき、心配されたリスクの現象は見られませんでした。

 

今では意識も戻り、会話こそまだできませんが、人を認識することができているように見受けられます。

危惧していた状態が少しづつ遠ざかりホッと胸をなでおろしています。


 

 

それにしても本人どころか、人が他者の命の選択をしなければならないというのはこれほどまでに心痛むものであり、尚且つ辛く重すぎる使命です。

 

人の命をどうするか、本人以外の人間が決定するなどということは、本当に残酷且つ過酷な選択に他なりません。

 

幸いにもそういった懸念も取り払われ、次第に体の機能が再び働き始めたことを安堵しているところです。

彼の頑張りに私たちは救われました。

 

ゆっくりでもいいから少しづつ元の体に回復することを祈るだけです。

 

以上

好奇心からの便りでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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