先ごろ、大谷翔平選手の結婚の報告が話題になりましたね。
世界が注目している大谷選手。
その突然の結婚報告にほとんどの人が驚いたことでしょう。
そして世界中から祝福を受けられました。
おめでたい話題はやっぱり明るくていいですね。
こんにちは。
好奇心からの便りです。
大谷選手が結婚を公にされた後日、ご本人へのインタビューがありました。
その中で「なぜ公表しようと思われたのですか?」というふうな質問があり、それに対し大谷選手は
「発表しなかったらしないで、また色々言われるだろうし」と。
この答えを聞いてあることを思い返しました。
それは今年初めに、ある有名人が入籍したという報告をされたことについてです。
今年年頭と言えば、まさにあの能登半島地震が起きました。
多くの被害をもたらし、未だ安否不明者が複数名いらっしゃるとのこと。
その能登半島地震直後の有名人同士の結婚報告。
その報告したこと自体に対しての思いが賛否両論ありました。
心からおめでとうを言ってあげる人。
こんな時にそんなおめでたい報告するのは不謹慎だという人。
変わり果てた姿で親族が見つかり、奇しくもこのタイミングで、ちょうどその有名人のおめでたい話題が流れていた、こんな状況でおめでとうなんて言えない。
なぜこんな時に発表なんかしたんだ? と。
べつに公表なんかしなくても黙っていれば良かったのに……など。
みなさんはこれをどう感じられるのでしょう?
辛い悲惨な状況の只中、他人の幸福を素直には、【祝う】などという気にならないのはもっともです。
ただ、彼らの人生、彼らの寿ぐべき報告を、自分たちの状況がこうだから今この時点で公表するなんて残酷だというのはとてもよくわかるけれども、すこし複雑な思いに駆られます。
じゃあ、いつならよかったのでしょう?
2週間後?
1か月後?
1年後?
それとも逆にもっと前に?
あるいは隠し通した方が良かった?
ここのところ日本は地震が相次いで発生しています。
能登半島地震以降、それに匹敵するほどの被害は出ていませんが、しかしいつまた大きな地震が起きても不思議ではありません。
地震でなくても、何か日本中や世界のどこか、あるいはパニックに陥るような出来事が世界中に起こる可能性だってあるわけです。
たとえば人気のある有名な人が「この日に入籍し、公表しよう」とか「子どもが生まれたことを報告しよう」とか、予め決めていたとして、直前でなにか大きな災害が起き、多数の犠牲者や被害者が出たとしたら。
数日は公表を控えるとしても、その災害の問題が収まるまで待たなければならないのでしょうか。
それはいつまででしょうか。
昨日のニュースは今日のニュースに、今日のニュースは明日のニュースに消されていくように、日々いろいろな事件や事故が次々と襲い、新たなニュースとして積み重なっていきます。
どの問題が解決したら?
どの災害の被災地が復興できたら?
安否不明者がひとり残らず発見されてから?
先ほど書きました、今日この時点で未だ安否不明者が何名かいらっしゃることを。
あの地震からすでにふた月が経ちました。
おそらく被災された方々にとっては昨日のことのように感じておられる人も多いと思います。
まだまだ生活の復興の目途が立っていない方もとても多くいらっしゃいます。
その中で他人のおめでたいニュースはご法度なのでしょうか。
被災された方の中には、あの有名人の方たちの結婚報告を知って
「こんな状況の時だからこそ、明るいニュースを聞いて少し癒された」
そんな風に言われた方もいらっしゃったそうです。
これがこうだから、こっちもこうでなければならない……難しいかもしれませんがそこを切り離してみて欲しい気もします。
おめでたいことであれば、自分の状況がどうであれ、たとえ他人でも祝福してあげるのはいけないことですか?
大谷選手が答えられた「言わなければ言わないでまた何か言われるでしょ?」
その通りだと思います。
世間は勝手なんです。
公表しなかったら隠していたと非難しますからね。
特にこういった有名人たちの場合は注目度が高いので曖昧にできません。
あの状況であったにもかかわらず結婚を公表した彼らを責めることが間違いなのか正しいのか、ひとりひとりの心の思いでしかないですね。
哀しみは哀しみとして
喜びは喜びとして分かち合える世界……きれいごとでしょうか。
切り離して考えられたらなと。
みなさまはどう感じられますか?
以上、好奇心からの便りでした。
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