先日カラスが横断歩道をチョンチョンと渡っていった。
たまたまだったのか、それとも意識の上でのことなのか?
だとしたらすごい。
ずいぶん前になるが、川に沿った道を車で走行していた時のこと。
合鴨の親子が一列になって川の方に向かい道路を横断していた。
そこへ私が車で通りかかったわけだが、この親子が視界に入り停車した。
その時すでに親ガモとほとんどの子ガモは反対側へ渡り切っていたが、最後の一羽だけが元の場所で渡り損ねていた。
一番小さいその子は私の車が来たことで、渡るのをためらっていた。
その子ガモの様子を、渡り切った親ガモと他の子ガモたちが立ち止まって心配そうに見守っていた。
ややあって、私の車が動かないことを察知して安全だと認識したのか、道路を横断して待っていた親ガモたちのところに無事辿り着いた。
正に人間社会そのままの光景に、私はひとり微笑ましく眺めた。
あるときはまた、車で徐行をしていると、道路のやや中央にカラスがいた。
私の車が近づくにつれ、カラスは横跳びしながらチョンチョンチョンと少しづつ右端に寄っていった。
ちょっと飛びあがって端によければ早いだろうにと余計なお世話を心の中でつぶやいた。
咄嗟に飛ぶには色々心の準備が間に合わなかったのか?
いずれにしても人と他の生き物たちの共存のこの世界で、今や私たち人間は自分たちの規律で暮らしていることの方が圧倒的に多いのだから、他の生き物たちへしわ寄せがいくのは避けられない。
私たちが普通に感じている地球での暮らし方は、他の生き物にとって不合理な生き方を強いることになってしまっている部分も少なくない。
視点を変えてみると、人間間においても同じようなことは言える。
どこかで優劣をつけて、この人の前では一歩下がっていよう、この人になら文句のひとつやふたつ言っても差し支えないとか。
人間は、自分たちの方が上だと思い込んでいるふしがあって、他の生き物に対し支配権を握っているような錯覚に囚われている。
ふいに猛獣に襲われても対処できないくせに。
自然界の生き物たちが共存してく上で弱肉強食は避けて通れないが、人間だけが優位に立ってしまうのは弱肉強食の域を逸しているのか、そうでないのか……。
横断歩道を律儀に渡る(これは偶然?)カラスや、車が行き過ぎるのを待って渡ろうとする子ガモ、それを心配そうに見守る親ガモ、そんな彼らを見ていたら人間も他の生き物たちに対しもう少し謙虚であるべきかななんて、そんなことがチラッと頭をかすめていった。
そういえば猫は人に媚びることなく自由気ままだとういうけれど、まさしくそんな猫にも遭遇した。
車で走行中、幅の狭い道路の真ん中に悠然と寝そべっている猫がいた。
すぐにどいてくれると思ったがいっこうに動かない。
じわじわと近寄ってしばらく停車していたら、やっとの思いでのっそり立ち上がり、慌てる風もなくマイペースでゆっくり歩きだした。
これは、あの飛ぶことを拒んでチョンチョンとよけていったカラスと同じ種族だと思って笑った。
こういう情景は人によってはイライラするのかもしれないが、私は癒された。
度胸が据わっていてむしろ「あっぱれ!」 と敬意を表したい。
私たちはこういった自然界のあらゆる動植物から、何気ない癒しや、あるいは我々の生命を維持するために彼らの命までをも戴いて人間社会を生きていくことができているという恩恵にあずかっている。
あのネコやカラスのようなマイペースな彼らがいても何ら問題はない。
彼らもまたこの地球上の主人公なのだから。
以上、好奇心からの便りでした。
お立ち寄りいただきありがとうございました。
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余談 (本記事とは関係ありませんが)
暦の上ではすっかり秋本番なんですけどね、フフフ。まだまだ夏日があったりして。
でももう神無月。神在月の出雲へお越しになりませんか?
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