お早うございます。
ご訪問いただきありがとうございます。
休みだといっても「今日はこれが出来た」とか、「充実していたな」とかを感じられることってあまりないなと思うことありませんか?
私はそっちの方が多いです。
ただ何となく時間が経って何となく一日を終えている。
なにをするにも中途半端だったり。
頭で思っていてもなかなか動けないことありますよね。
たとえば主婦の場合、日々の家事にうんざりしている人もあるでしょう。
それが苦手な事なら尚更で気が滅入ります。
それを全部ひっくるめて考えてしまうから余計動けなくなるんじゃないかと気付きました。
あれもしなければ、これもしなければと。
思うようにできないとまた中途半端で終わったという自責の念に駆られます。
そこで思い至ったのが100%の捉え方です。
今朝の言葉
『100%出来ている、の積み重ね』
結果はどうあれ、とりあえず今この時点で出来たことを100%出来たという風に認めるということをしてみませんか?
些細な事でいいのです。
たとえば小学生の漢字のテスト。
ひとつも書けなかったとしても、テストを受けた。
テストを受けたか受けなかったかと言えば受けたから、その行為は100%出来ているんです。
問題に答えられなかったけれど、答案用紙に自分の名前は書けた。
100%名前は書けているんです。
それと同じで、食事を作るのが苦手で、栄養バランスの整った献立であったり、家族から美味しいと言ってもらえる料理、そういうところに自信が無かったとしても、とりあえずひと品、みそ汁だけでも作れたとします。
みそ汁作ろうって思って作れたとします。
美味しいかどうかは別問題です。
みそ汁作るために、野菜を洗った。
野菜を洗うこと、それも100%出来たのです。
みそ汁が作れた、それだけでやろうとしたことの100%が出来たのです。
ご飯も炊けていました。
ご飯を炊くこと、100%出来ました。
洗濯物片づけよう、乾いた靴下畳んで収納出来た。
それも100%出来たことになります。
大きな目標じゃなくても、些細な事でも達成出来たと思えたら少しは気持ちも楽になります。
小さなこと、些細な事、その積み重ねを数えてみてください。
テストの点数や料理の味はここでは関係ありません。
今日一日でどれほどのことが100%出来たか。
いえ、少なくてもいいのです。
日常的なとても小さなこと、普段無意識で出来ていること、そんなことでいいのです。
そんなことが出来たか出来なかったかだけのことです。
なんなら、トイレットペーパーの補充が出来た、それでもいいのです。
ひとつでもやろうと思って出来たこと、それを認めてあげてください。
自分でも、家族でも。
茶碗を1枚洗った、お風呂に入った、歯を磨いた、戸締りをした、これ全部100%出来ています。
そんな風に意識を持って行くようになるとなんだか動ける気がしませんか?
その小さな100%を積み重ねていけば少しづつやる気も湧いてくる気がしてきます。
怠惰な私には効果があるかもしれません。
さて、台所に向かおうか、それだけのことなら100%達成できそうです。
ではまた。
好奇心からの朝の便りでした。
みなさま、どうぞ良い一日を。
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