お題「卒業式、泣く派?泣かない派?涙の思い出を教えて下さい」
やがて卒業シーズン。
卒業というとみなさんはどんな感情が湧きますか?
また、どんな思い出がありますか?
こんにちは。
好奇心からの便りです。
卒業シーズンになるとTVなどで度々卒業式の映像が流れますね。
私は「卒業」という言葉にとても弱いので、他人の卒業でさえウルッときてしまいます。
そんな映像を観ていて感じるのは、最近の子どもたちって卒業式のとき泣く子が少ないんだなということです。
式後卒業生が退場する場面は昔は多くの子がうつむいて涙ぐんでいる様子がありました。
近年、その光景があまり見られなくなりました。
もう少し前のころとはちょっと違うなと感じます。
卒業という別れの扉が学校からの解放、その日までの束縛からの解放への喜びなのでしょうか。
確かに、卒業は嬉しいという感情は湧いてきますし、その後に寄せる期待の方が大きくなることも自然だと思います。
近年の子どもたちの多くは、卒業が開放感の喜びにだけ気持ちが囚われているということでしょうか。
学校の卒業自体はわたし自身はもちろん、我が子たちもすでに何年も遠ざかってしまいました。
それでも「卒業」という言葉を聞くと感慨深いものがあります。
遡れば、私は保育園の自分の卒園式から高校の卒業式まで毎回泣きました。
自分自身の卒業式で一番泣いたのは、高校のときのように思います。
式のほぼ最初の辺りからウルウルしていた気がします。
たまたま父が挨拶をしたということもあって、壇上で父が話し始めたときから涙が止まらなくなったのを覚えています。
そして我が子たちの卒業式でもずいぶん泣きました。
長女の卒園式から始まり、末っ子の次女の看護学校の卒業式まで、3人の子の卒業にほんとうにたくさん涙しました。
息子の中学の卒業式では、式が終わって保護者謝辞のとき先生方が並ばれ、息子の担任であった先生が目の前に立たれた途端、そのお顔が直視できないほど涙が溢れ、ずっとうつむいたままだったことを覚えています。
それは次女の看護学校の卒業式に贈られた、母校の中学校からの祝電を披露されたときも同じでした。
娘の母校から入学した在籍生徒は娘ひとりだけでしたので、思いもしなかった祝電に只々驚きと感涙で顔を上げられませんでした。
卒業式というものは、結局何に泣けるのだろうと考えると、どうやら先生方の存在も大きく占めていたのかなとも思います。
先生の存在は大きいです。
ひとりひとりの子どもの人間形成になにかしらの影響を与えます。
良き先生方に恵まれたことはありがたいことです。
卒業式の日の先生の涙もまた感動します。
泣きそうに見えない強面(⁉)の先生の目が潤んでいる。
先生のあの涙を見ると
「あぁ、この先生で本当に良かった」と思えるし、
「教師という職業、素敵だな」と感じてしまいます。
文明が発達し、AIが登場し、AIが物を語るようにまでなった現代。
教育の過程で、知識などを学ばさせるだけなら、今やAIでもその役目を果たすことは可能かもしれません。
ですが、AIではおそらく感じることのできない感情、生の人間の温かさはきっと伝わらないでしょう。
生身の個性を持つ人間同士だからこそ、お互いに伝わるものがあり、そこに触れられるものがある気がします。
感情というものを抱ける気がします。
そういうものがあって初めて、卒業式というのは感動を誘うのではないでしょうか。
この春、卒業を迎えられる皆様、そしてご家族の皆様、おめでとうございます。
卒業は別れではあるけれども、新たな旅立ちの日です。
みなさまの前途が更に良きものに向かいますよう心から祝福し、お祈りいたします。
以上、好奇心からの便りでした。
ご訪問ありがとうございました。
気付いたら過去に似たようなことをこちら↓のブログで書いていました(^^;)