お題「1日のうち、自由に使える自分のための時間が3時間あったとしたら、何をどのくらいの時間配分でやりますか? (何をやるかは一つでも複数でも。難しく考えずに書いてみてください!)」
こんにちは。
好奇心からの便りです。
3時間……って好きなことをしていたらきっとあっという間ですよね。
・車でちょっと遠出をする
・寝る(笑)
・本を読む
・ブログを書く
・YouTube三昧
・お気に入りの書店や図書館で長居をする
こんなところですね。
車で片道1時間くらいかかるところへ一人で行ってブラブラしたり、車の中で本を読んだり、フリーWi-Fi可能なところならYouTube観たり、仮眠をとったり……あ~~~天国♪
でもな、3時間かぁ、少ないなぁ。
好きなことに熱中してたら時間という概念がなくなって……気付けば焦る💦みたいな。
けれども本当の幸せを感じられるのは好きなことをやっているときや、こころから安心を得られている状態のときではないのかなと思うのですが、あくまでも私個人としての思いです。
結局は誰にも遠慮の要らない自由な時間を与えられたら、人はおそらく自分の好きなことに費やすというのが大半なのだと思います。
それでも中には、溜まっている仕事を片っ端から処理していくとか、家族のためにしなければならないことに集中するとか、普段できない掃除をするとか。
そういった、普段できないから、あるいは時間が無くていつも後回しにしていて気になっているから、そういうことに費やす、という方もいるのかもしれませんね。
なかなか手が付けられずにいて、イヤイヤながらも「こんな時しかできない」というので動くこともあるのかもしれませんが、せっかくの自分だけの自由な時間、できればワクワクウキウキなことに使いたいですよね。
人間は自分の楽しみ喜びを優先すると周波数が高くなり、その周波数と一致する良きことがもたらされる、引き寄せられる、と量子力学的観点から見てもそのように言われています。
自分の好きなこと、自分が楽しめること、周囲の人から見たらわがままな行動かもしれない。
自分勝手かもしれない。
でも周囲の人や社会に迷惑をかけない程度のことであれば、自分の《好き》を優先することの方がこの先の幸せにつながると言われています。
そんな風に言われたら気が大きくなって好き勝手にしちゃいそうですが……やっぱり現実は厳しくてそれもできない。
なんだかんだ言ったところでやっぱり周囲の目とか意見とかを気にしちゃう。
こういうのを小心者っていうのでしょうかね?(^^;)
なんて言ってるうちにまた食事の支度の時間が来てしまいました。
三度の飯よりこうやってブログを書いたり読書にふけったりしている方がいいんだけどなぁ。
家庭があるということは、そんなわけにはいかないということですね(^▽^;)
結局のところ、自由な時間が3時間あったとしてもやっぱり家族のことなどいろいろ雑念や気疲れで、こころからエンジョイできそうにもありません。
好きなアーティストのライブやコンサート、あるいは感動的な映画を観終わって……高揚感からの現実への引き戻される時のダメージ。
それと同じで、自由時間3時間の幕引きがいちばんテンション下がるのかも。
時間というもので線引きされている限りは本当の自由とは言えないのかな。
ただ、自由にならない部分があるからこそ、自由というものへの憧れや期待感が生まれるわけで、何もかもはじめっから自由であったら、それはそれで自由のありがたみもないし、充足感もないかもしれませんね。
自由という言葉すら不要ということになるのでしょうね。
この地球という3次元で生きている限りはそういった喜怒哀楽があって、そしてその中でのありがたさも感じることができるということなのですから。
あぁ~あ、夢がないなあ~、この記事。
ブログを書くという私のつかの間の自由時間、そろそろお暇しましょう。
以上、好奇心からの便りでした。
お粗末さまでした。