好奇心からの便り

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ちょっと先の心配はいったん手放してみよう! すべては自分の思い込み

こんにちは。

好奇心からの便りです。


Photo by koukishin 

秋の澄んだ夜空、特に街から離れている所で見える星の数の多さには感動します。

今届いているあの星の光は宇宙の彼方から、何万光年もあるいは何億光年も前に放った光なんですよね。

気の遠くなるような時間です。


その宇宙からみれば人間の一生なんてほんの一瞬のようなものかもしれません。

 

宇宙の中で、とてつもなくちっぽけな我々地球人が星空を見上げると

ますます自分がどれほどちっちゃな存在であるかを実感させられます。

 

そんなちっぽけな我々人間ですが、

大なり小なり悩みや不安(心配事)を抱えている人は少なくないでしょう。

 

いくらちっぽけな人間とは言え

それら悩みや不安は我々にとって精神的に大きな影響を与えます。

 

他人から見ると

「なんだ、そんなことで悩んでいるの? 悩むだけ時間の無駄だよ」とか、

「そんなこと、だれにでもあることだから、悩まなくてもいいよ」なんて偽善者みたいな言葉をかける人もいるかもしれません。

 

心配事の9割は実際には起きないとか言われることもあって、そういう趣旨で書かれた書籍もいくつかあります。

 

気になる方はこちらからどうぞ

 

 

起きてもいないことを心配するのはムダなことだとか、冷静になって考えればそんなに重要なことではないことに気付いたりするなんてことも言われます。

 

でも、なかなかそんな風に自分の心の中を客観視できるものではありません。

悩んだり、不安を抱えている状態の中で、そんな気休めめいた言葉をかけられても逆に反発してしまいます。

 

今まさに目先のことにどう対処していいのかその術が見えない時、ほかのことは目に入らなくなってしまいます。

その悩みや苦しみにだけフォーカスしてしまうものです。

人はその悩みの部分というものしか見えなくなります。

 

ただ、その悩みの的となるものがほんのちょっとでも少し先にある場合、いま、この時はまだ大丈夫だったりすることもあると思います。

それこそ、まだ起きていない心配事がそうです。

 

それなのに望まない状態ばかりを創造して、妄想して悩んでいる。

そういうことって当たり前にありますよね。

起きていない悩み事をあえて妄想して不安や心配に時間を費やす。

 

日々の生活のなかで、楽しみなことより憂鬱なことの方が多いと感じる人は多いのではないでしょうか。

憂鬱なことというのは言い換えれば、悩みであったり、心配事と言ってもいいのかもしれません。

 

心配事、悩みはたしかに人さまざまであるし、自分自身の中にも大小さまざまなものがあるはずです。

 

人間関係などの悩み事や不安は、自分の感情に特に大きな影響を及ぼすものであります。

たとえば、苦手な人と時間を共有しなければならないという憂鬱な感情がある場合

予定そのものを回避できるならそれが一番手っ取り早いけれど、そう言うわけにはいかないことの方が多いかもしれません。

その状態に距離を置くことができないから悩むわけです。

 

ではその悩み、どう解消したらよいのでしょう。

 

     お花畑でうつむく女の子

 

先ずはそれを少し掘り下げて考えてみるとしたら。

 

(例)

・自分はなぜその人が苦手なんだろう?

・その人の何が自分にとって不快感を感じさせるんだろう?

・なぜその人の言動に不快感を感じるのだろう?

・ほんとうはどう接したいのか?

・どういう関係を望むのか?

・どうなったら満足するのか? 安心できるのか?

 

そういうことにひとつひとつ自分に問いかけてみる。

 

・なぜその人が苦手?

人格、性格が自分には受け入れがたい。

 

・どういった点で?

押し付けがましい・嫌味を言われる・上から目線等・嫌われている気がする……等々。

 

・どうしてそう思う?

なんとなく・雰囲気で感じる・表情が冷たい……等。

 

・不快感を感じるのはなぜ?

精神的に追い詰められている感じがする。

責められている気がする。

その人の癖が受け入れがたい。

親近感が持てない……等。

 

ではどう接したいか、どういう関係性を築きたいか、どうあれば満足できるのか?

 

それらを考えたとき

結局イヤなものはイヤ!

キライなものはキライ!

良い関係性なんて作りたいとも思わない。

 

最終的にそういう答えが出るのではないでしょうか?

でもそれでは問題の解決には至らないですよね。

 

しかしよく考えてみると、それらすべて自分自身の感じ方、受け止め方による感情です。

 

精神的に追い詰められている感じがする。

責められている気がする。

その人の癖が受け入れがたい。

親近感が持てない……。

 

あっさり言ってしまうと、これらは全て自分の思い込みなんです。

相手がどうこうではなく、自分がどう感じているか、それだけなんです。

 

相手の本音がどうなのかは問題ではなく自分自身の受け止め方が問題なのです。

その上で自分で勝手にシナリオまで作って拒絶反応を引き起こしているにすぎないのです。

 

もしあれがこうなったらあの人はこう思うだろうし、そうなればこうしないと上手くいかない。

でもそれだと自分が困ることになるし……とか

こんなことを言うと変なふうにとられてまた嫌味を言われるかもしれないし、嫌なことを押し付けられるかもしれないし……etc。

 

人間関係でなくても、少し先にある心配事も同じことが言えます。

勝手に想像して不安を拡大化している。

まだ起きてもいないことを「ああなったら、こうなったら」と形のない不安に心と時間を奪われている。

 

それらは問題解決を考えているようで、その実、なんの役にも立たないどころか負のループに自らハマりにいくだけです。

 

ならばあっさり手放してみませんか?

興味のあることに目を向けてみる。

好きなことに集中してみる。

 

すると案外心配するほどのこともなかったという状況になることもあります。

不安や心配、悩みなどに意識を向ければ向けるほど、その意識に見合ったものが引き寄せられるといいます。

 

それが本当なら、今この瞬間から思考を望むべきものへ変換した方がよいのは明らかです。

ですが、そんなことは信じられなかったり、そう易々と気持ちや思考を切り替えられるほど心に余裕はない、そう思うのが現実的だと思います。

 

でもまだ起きてもいない事柄であるなら、そこに感情を留めたままではプラスになるものは得られません。

ならば、少しづつでもその問題から離れる時間をつくりませんか?

 

     

 

ふとその不安がよぎったら余計なこと、まだ在りもしない心配を拡大せず、ほかの好きなことや興味が湧くことに無理にでも意識を移行してみましょう。

 

私はときどき不安なこと、心配事などがあり、自分の頭ではどうにも解決策が見当たらなくなったとき、しょうがないから投げやりになるというか、「なんとかなる」そう言い聞かせて好きなチャンネルのYouTubeなどを観て不安材料から少し距離を置いたりします。

 

すると、本当に不思議なのですが、ふいに問題が解決することが今まで何度かありました。

自分の思い込みであったり、思わぬところからの助け船が現れたり……。

抱いていた不安が噓のように消え去るということも起こりうるのです。

 

 

まだありもしない心配事にこころを囚われて時間をムダに費やすのか、それとも自分にとって心地よい時間を有するのか。

胸を痛める時間はできれば無い方がいいです。

少しでもそういった時間を短くしないともったいないです。

 

宇宙から見たら一瞬とも思える人間の一生。

その限られたわずかな時間をどう使うか。

 

心配事を妄想で拡大化せず、勇気をもって解き放してみることもあっていいと思います。

 

みなさまに幸多かれとお祈りいたします。

 

sikanosuke.com

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