こんにちは。
好奇心からの便りです。
スーパーコンピューターとかAIとか、そんな最先端のテクノロジーが日々進歩する中で、それらを活用し、より便利な暮らし方を追い求める人は当然多くいます。
一方で、それとは対照的に自然の中での昔ながらの自給自足への憧れから、そういった人類の原点に近い、自然との共存を活かす生き方を求めて田舎に移住する人も近年増加してきました。
どっちがいい悪いではありません。
ただ、他国ではどうなのかは分かりませんが、少なくとも我が日本においてはこの両極端の間(はざま)に置かれている人口の割合がおそらく一番多いのではないのでしょうか。
それはどういうことかというと、テクノロジーが進化していく中で、社会について行こうとしても、なかなかそういった最新の技術開発から提示されたものの流れに乗ることができない、理解が追い付かないという現実があります。
だからといって自然の中で自給自足をするような暮らしに移行するような気力もないし、勇気もない。
又はそんな気は全くないなど。
自給自足など極端すぎるので、そこまでではないにしても、最新の電化製品や携帯電話など使いこなせない、そういう人ももちろんたくさん居ます。
年齢をより多く重ねてきた人たちの中にこういう感覚の人が比較的多いと感じられます(私自身を含みます)
こういったグレーゾーンとでもいえるような位置にいる人、この割合が多くを占めているんじゃないかと個人的には思っています。
少子高齢化の日本。
家業の農作物を作ってきた人たちが高齢になり、後継者もいないというのは昨今当たり前のように広く認識されています。
今までの生き方をこれ以上続けることが困難な高齢者にとって、最新の科学技術を駆使してこの先を生きるなどということは、それもまた難しい話です。
最新のテクノロジーの開発は、人々の「今」を幸福に生きるための材料なのか、それとも常に将来の理想を追い求めるためのものなのか。
そして人は究極のところ、本当に求めている生き方ってどのようなものだろう? なにが理想なんだろう? 何をしあわせと感じるのだろう?
そんな風に思います。
私が思うに、人は最終的に安心というものが一番欲しいのではないのかなと思っています。
そして、私自身、いろんな思いや願いはあったとして、けれどその願いの先にあるのは結局、行きつくところ「安心」を得られている自分、それに尽きるような気がしますが、皆さまはどう感じられたのでしょうか。
以上
好奇心からの便りでした。
お立ち寄りありがとうございました。
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