こんにちは。
好奇心からの便りです。

人間ってつくづく勝手なものだなと思います。
もちろん人にも依るのでしょうけれど。
春が来て庭の草が気になりだしたので時々草抜きをするのですが……。
なんですかねぇ、冬の終わりごろは小さな草の若葉を見つけると「あぁ、春が来たな」なんて春の訪れを知ってその植物が愛くるしく思えたりして。

でもいざ春本番になってくると草の数も増し、背丈も増し。
「あっら~、こんなに草が生えちゃってるよ」
なんていって草取りを始める。
薄情なものです。
ところで草取りをするたびに思うのですが、そもそも草っていうものの範囲は広きに渡りますが、その中で人間が勝手に「雑草」として意識しているものは除去されるわけです。
では雑草ってナニ?
誰が雑草って決めた?
この子は雑草で、こっちの子は雑草じゃないとか。
それってどういう定義で区別されているのだろうって思いますよ。
子どものころ学校や家で草取りをした経験あると思います。
その時思いませんでしたか?
これは草? それとも花? なんて。
先生や親に聞きませんでしたか、「これは草?」って。
草にだって花は咲きます。
写真に撮ってアップで見たらこの可憐な花はなんという花?
なんていうことあるんじゃないですか?

私は田舎育ちの田舎者なので、近年になって感じることは、昔は家の周辺や野山の方に行けばいくらでもあった草花たち。
それが今どきはお店の生花コーナーに並べられている。
「え? この草花も売り物?」
家の付近にあればただの草花として知らない間に容赦なく踏みつぶされているのが普通です。
それを売り物にしていることで、人々はその草花の存在を認識させられているという気付きもありました。
数年前、植物学者牧野富太郎をモデルにしたNHKの『らんまん』という朝ドラがありました。
その、牧野博士の
「どんな植物にも名前がある、雑草という名の草はない」
という有名な言葉が残されています。
これはまさしく植物に限らず、世の中の殆どのものには名前が付けられています。
たとえ人間が付けたものではあっても、ちゃんとそれらの存在を知らしめる役割を果たしています。
なんだか話しが横道に逸れました。
今日伝えたかったのは、区別ということです。
雑草とそうでない草花? 花? それらの違いって何なんだろうっていうことです。
自力で過酷な自然環境を克服するもの。
人間に大切に過保護に育てられたもの。
「これは花」と人間が認めたもの。
どれも精いっぱい生きている。

抜いた方がいい草と抜いてはいけないもの、それは人間が勝手に決めているに過ぎない。
どれも同じ植物。
人間社会も同じこと。
人生のスポットライトを浴びる人、周囲から賞賛される人、逆に影の薄い人、様々です。
でもみなひとつの命を与えられた同じ人間。
区別などされるべきではないのです。
排除していい人などひとりもいません。
名前のない人だって本来いません。

そんなことを思いながら爪の間まで土で汚して、抜くべきなんだろうなと思う草を申し訳なく感じつつも躊躇なく抜きました。
矛盾していますね(^^;)
以上
好奇心からの便りでした。
お立ち寄りありがとうございました。
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