こんにちは。
好奇心からの便りです。
三学期は信じられないくらいの速さで時間が過ぎていきます。
車を走らせていたら、にこやかに話しながら下校していく小学生二人を見かけました。
「学校時代、三学期ってなんか気が楽だったような気がするな」
そんなことを思いながらその二人の横を通り過ぎました。
さっきのあの子たちはどんな話をしてあんな楽しそうにしていられたのだろう?
そう思ったとき、そういえば自分が小さいころ、子どものころ、何を考えていたのか、そんなどうでもよいことがふと浮かびました。
幼いころ私は他の子どもに比べたら、冷めた子どもだったかもしれません。
保育園のときクリスマス会がありました。
会場にサンタクロースの扮装をした人が入ってきたとき、他の園児たちは興奮してキャッキャと喜んでいましたが、私はサンタクロースの姿を見るなり
「えんちょうせんせいだ」と冷めた目でその登場を見つめていました。
その保育園での卒園式のとき、卒園児である私は泣いた記憶があります。
一般的に園児が卒園式で泣くのはあまり見かけないような気がします。
皆無ではないと思うけれど。
でも、卒園式では泣いた私でしたが、子どもに嫌われることの多い注射では全く泣きませんでした。
これぐらいのこと、痛くないと感じていたのか、これしきの事で泣くのはみっともないとか、恥かしいとか思っていたのか、定かではありませんが。
そのころの私は、母が買い物などに出掛けるときいつも一緒について行きました。
その出先で母の知人に会うと母は私のことを
「甘えんぼさんでいつもついて行くって言うんです」と言っていました。
しかし、私は何を思っていたか?
それは、母がひとりで出掛けることに心配の気持ちがあったのです。
自分が取り残される不安ではなく、母のことが心配だったのです。
外出先で母に何かあったらどうしようなど、母への心配があって、子どものくせして護衛係のような気持ちでいたんだと思います。
そんなことはもちろん誰にも言ってはいません。
母も知りません。
「親のこころ、子知らず」とは逆に「子のこころ、親知らず」です。
また、私の生家は田舎で、家は田畑もありました。
家の近くだけでなく、遠いところでは山の方の3~4㎞や、あるいは4~5㎞位も離れたところにもいくつか田んぼがありました。
学校から帰り、母の姿が見えないと、母がその山の田んぼに行っているかもしれないと思った私は、夕方ひとりで母を迎えにその山にある田んぼの方にも行ったことも何度もあります。
行ってみても母の姿はそこにはなく、別の山の田んぼにも行ってみたりしました。
それでもそこには誰もいなくて、結局ひとり夕暮れで薄暗くなった山道を駆け下り、家路に向かったことを思い出します。
それは小学校のまだ低学年の頃でした。
そんなことを思い出しながら、私の子どもの頃って冷めていたり、ませていたり、こどもらしくはなかった部分が結構あったかもしれないのだと改めて思ったりしました。
この短い三学期が終わると、子どもたちはまたひとつ区切りの階段を昇ります。
環境が変わったり新しい友達が出来たり。
もちろん望まない出来事にもたくさん出会います。
そうやっていろんな刺激を受けながら成長していく。
ときには詰め込まれなくても良い大人社会の矛盾した現実や、凝り固まった視野、思考などを知らないうちに植え付けられていくこともあると思います。
そうならないうちに、今ならまだ、子どもらしく自由奔放で許される部分もあります。
私たち大人は場合によっては、この子どもたちの自由な発想や行動を否定しないで見守ることも大切です。
世界中の子どもたちが伸び伸びと子どもらしく育ち、家族や社会の犠牲になることの無いよう成長していって欲しいものです。
以上
好奇心からのとりとめのない便りでした。
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